『中野孝次展』から [イベント]
少し時間を巻き戻して。
大阪へ出かける前の7月1日、横浜の【県立神奈川近代文学館】を訪ねた。
ここで、開催中の「中野孝次展―今ここに生きる」へ。
それを知ったのは、中野氏の「ガン日記」が掲載された、【文藝春秋】7月号から。
この日はちょうど、担当編集者による記念講演会が予定されていた。
中野孝次氏(作家・評論家)というと、まずは『清貧の思想』が思い浮かぶ。
でも、私にとっては、愛犬との思い出を綴った、『ハラスのいた日々』や『犬のいる暮し』で身近に感じた人だった。
30年以上前、初めて柴犬ハラスを家族に迎えて以来、マホ、ハンナ、ナナと彼の傍らには、いつも柴犬が居た。(ハンナとナナは健在)
中野氏は2年前の7月16日、79歳でこの世を去った。
講演で高橋一清氏(元文藝春秋編集者)は、微笑んだり、涙をにじませたりしながら、28年の付き合いを振り返った。
高橋氏によれば「中野氏は昭和と平成の世を真摯に生き、文学者として言行一致の生活を貫き、簡素な暮らしの中で、心の豊かさを求めた」(「ガン日記」前文より)
地道な暮らしを大事にしながら、品性豊かに生きるという考えが彼の底流にあったことをあらためて確認させられる。
卑近な例としては、良いものを大事に使うということにも繋がっていた。
茶系統の服を好んだこと、犬との散歩に被る帽子にもこだわりがあったこと、有名メーカーの万年筆を使い続けたことなどは、そんな彼の一面を知るようで面白い。
一方、なにやら可笑しいエピソードとして、『ハラスのいた日々』という書名に決まる前、中野氏が考えていたのは、「犬が犬であること」「犬の条件」などという堅苦しいものだったという。
高橋氏がそれらを即座に却下したことは言うまでもない。
なにしろ、これまでの中野氏には、愛犬の回想記など無縁の世界だったから。
微笑ましいことでいえば、生前のハラスの鳴き声が会場に響き渡ったことだろうか。
「ワン、ワン、ウーワンワン」。
中野氏がハラスに掛ける言葉も交じって。
講演の最後に披露したのは、中野氏の「死に際しての処置」について。(2004年9月臨時増刊号『文藝春秋』 和の心日本の美より引用)
一、医師により死が確認せられたる時は、近親者と別に指名せる編集者にのみにこれを知らせ、それ以外の者に知らせる勿れ
この文に始まる12項目の死生観が、亡くなる3年前の2001年5月に作成され、書斎のすぐ目に付くところに用意されていた。
わが志・わが思想・わが願いはすべて、わが著作の中にあり、予は喜びも悲しみもすべて文学に託して生きたり。予を偲ぶ者あらば、予の著作を見よ。
予に関りしすべての人に感謝す。 さらば。
最後にそう結んで。
講演会場を出ようとして、小柄な白髪の婦人を取り囲む輪に気がついた。
中野孝次氏の夫人、秀(ひで)さんの姿だった。
今でも元気に、ハンナやナナの散歩をしているのだろうか?
おそらく80歳近いと思われるが、生成りの綿パンと軽やかな足取りが印象に残った。
[そ・し・て]
講演終了後、久しぶりに横浜を歩いた。
時系列に
《昨日の陸》
えっ、なぁに? (遠くから)
なに、なに? (近くから)