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『カラフルメリィでオハヨ』&。。。 [演劇]

昨日の日曜日、下北沢の本多劇場で「カラフルメリィでオハヨ」(作・演出ケラリーノ・サンドロヴィッチ)を観劇した。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ(通称KERA)が主宰する、ナイロン100℃の28回公演。
再演を嫌うKERAにしては珍しく、今回で9年ぶり4回目の上演となる。

       
              小劇場系の憧れ 本多劇場

「思い入れはありますね、ものすごく。大好きな芝居です。ただ、大好きな芝居は他にもたくさんあるわけで、その中でこの作品だけをこうして何度もやっている理由のひとつには、この芝居を上演する度に自分、あるいは自分たちの立ち位置を確認できるからということもあるんじゃないかと。」(「カラフルメリィでオハヨ」パンフレットより)

KERAにとっては、一生に一本の私小説ならぬ私戯曲。
私には初見だった。

       
               当日は通路まで満席

チラシには、
「海に囲まれた病院からの荒唐無稽な脱走劇、人生の最期を迎えた老人と彼の家族のスケッチ、2つのドラマが重層に絡み合いながらそっと生と死を見つめる。。。」
とある。

1988年当時のKERAは、余命幾ばくもない父を看病しながら、病室でこの作品を書いたという。
初演だけは看病のために、演出を他者(手塚とおる)に委ねている。
なにしろ、父と子の二人家族だった。
その父は、初演5日目にとうとう亡くなった。

パンフレットを読んで、初めてこの事実を知り、大いに納得するところがあった。

人生の最期を迎えた老人には、痴呆が進み、家族たちとの会話もトンチンカンになる。
そんな老人に親身に付きまとう孫が、実は老人の分身であることが、やがて見えてくる。
劇の冒頭で、老人と孫が背中合わせになって登場するシーンが、それを象徴している。
一方、老人の分身は子供ながら入院中で、同じように重病で入院中の子供たちと自由を求めて、病院を脱出しようと計画している。

ホームドラマ風あり、脱出活劇風あり、そしてナンセンスギャグも満載。
お得意のスライド映像も、少し進化していて、舞台装置にも映像を写す、凝った作りだった。
特徴の回り舞台はなかったが、二階を作り、上り下りするための階段の他に、すべり台のように一気に下りるしかけも左右両側に出来ていた。
ここを通った役者たちに何度爆笑したことか。。。
このすべり台の出口には蓋が付いていて、頭を打ってみせる念の入れようだった。
休憩(10分)をはさんで、3時間というのもお約束の上演時間だった。
ハッピーエンドではない結論もそう。
なお、KERA作品の特徴は【こちら】の追記を参照していただきたい。

そして、この芝居を観たことで、どうしても思い出してしまう出来事があった。

       
              金曜日夜の駅

幼い頃から親しくして戴いた方(小母さま)が水曜日(19日)に亡くなった。
一日置いて金曜日が通夜、そしてこのお芝居の前日、土曜日が告別式だった。
高齢で入院中だったから、覚悟していなかったと言えば、嘘になる。
けれども、訃報を受けて、慌しく旅支度しながら、自分では信じられない間違いばかりした。

       
              ご供花から

「幾日かのちにはうなだれ、散ってゆく花の命の短さを思うと、あわれにもなる。この短い開花期に比べたらはるかに長い冬の日を、花たちはじっと耐えて来たのだ。でも、思いに沈む私に、花はやさしくささやいてくれる。
『あすはまた、別のつぼみが開花の喜びを待っているのです。あとに続くもののために、ひそやかに終わりましょう』」(新潟日報「私も一言」より。掲載日不明)

          
                 掲載記事

小母さまが投稿し、「花との対話」と題して掲載された、この記事がお棺に納められた。
まるで、参列した私たちをなぐさめ励ましているかのようだった。
少し大きめの帽子をかぶった、オシャレな遺影が、可愛らしく華やかな人となりを伝えていた。
いつものように、綺麗にお化粧した唇が、何かを言いたそうに見えた。
でも、それは永久に叶わないことだった。

 


《きょうの陸》


       
               お花が一輪さいてるね

       
               僕がみつけたよ


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