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阪神戦観戦記 [阪神]

今日は、待ちに待った「西武vs阪神」(インボイスSEIBUドーム)交流戦。
スポーツは速報が命?だから、興奮さめやらぬまま、記事にしてます。

       
               出 発

       
               ビジターショップに人だかり

       
               先発メンバー

       
               阪神外野応援団

野球は久しぶりの観戦。
神宮球場での「ヤクルトvs阪神」以来、それもホワイトという名前の黒人選手がいたころだから、何年前だろうか?
そのホワイトがスーパーキャッチして、阪神が勝ったことを覚えている。
西武球場(現:SEIBUドーム)に至っては、牛島(現:横浜監督)がロッテにいた頃にさかのぼる。
その牛島が抑えのリリーフに登場して、ロッテが勝った試合だった。
時期も対戦相手も違うが、阪神が勝って、西武が負けたという結果は鮮明に覚えている。
阪神ファンの我が身にすれば、これは良い記憶に違いない。

       

試合はスリリングな展開になった。
江草(阪神)と西口(西武)の投げ合いで、7回まで両軍得点なし。
内容的には、西口が好投し、西武優位の印象だった。
7回までのヒットの数も西武の5に対して、阪神は2。
その上、フォアボールも目立ったから、江草はほとんど毎回ランナーを背負い、その度に何とかしのいでいた。

「普通なら、5-0で西武が勝っている状況だよね」
後ろの席から、西武ファンのそんな声が聞こえてきた。

「この応援がなければねぇ。こっちがアウェイにいるみたいだ。」
私の席は一塁側で、本来なら西武ファンの席だったはず。
三塁側がまずSOLD-OUTになったから、私たちも仕方がなかったのよ、ね。

       
              三塁側

       
              一塁側

8回表の攻撃でツーアウトから赤星のフォアボールを足場に、桧山が二塁打、シーツのフォアボールをはさんで、金本のヒットで2点が入った。
興奮!興奮!!大興奮!!!
スタンディング・オベーションだ。(野球もそう言うのかしらん?)
気がつくと、私の前も、少し置いて後ろも横もスタンディング状態。

       

終わってみれば、2-0で、阪神の勝ち。
先ほど、終わった巨人戦の結果、ついでに首位も頂きました!

       
              桧山選手 ヒーローインタビュー

阪神の応援初心者として知ったことは
1.得点が入ったときに、「六甲おろし」を短く歌う。
2.相手がチャンスで得点できなかったときに、「アウト」「アウト」と声をそろえる。
3.試合に勝った瞬間にもジェット風船を飛ばす。
こんなところでよかったでしょうか、【touco】さん?

そして、【選手別応援歌】
鳥谷と桧山がいいメロディだった。
残念ながら今日出場しなかった、今岡と矢野のメロディはどうだったのだろう。
どちらにしても、三塁側だったら、もっと阪神の基本情報を仕入れることが出来たはずだった。

面白かった話題を三つ。
①赤星が打席に入ったときに、前に駆け出して携帯カメラを向けたオジサンがいたこと。
 ・・・・≪写るのかな?≫という感想をもった。
②9回裏、西武最後の攻撃で、ランナー一塁、ホームランで同点の場面に、応援バットだけを念じるように上げたままの阪神ファンのオジサンがいたこと。
・・・・オジサンの「念」が効いて、点が入らなかった。
③阪神ファンTシャツの中でちょっと泣けるぐらい気に入ったものがあった。
・・・・「勝っても 負けても 虎命」

 

       
              戦いすんで

       
              帰り道

♪六甲おろしに颯爽と 蒼天翔ける日輪の

 

六甲おろし

六甲おろし

  • アーティスト: 唐渡吉則, 佐藤惣之助, 田丸良, 山口洋子
  • 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 2004/04/21
  • メディア: CD


試合が終わった後に、六甲おろしが流れて、それでも阪神ファンはなかなか席を立たなかった。
私もその中のひとりだった。

 



《昨日の陸》

見上げることが多かった。

       
              猫を見つけて

       
              花を見つけて


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奈良扇 [記憶]

その昔、夏休みに5年連続して奈良に旅行したことがある。
東大寺二月堂の上から奈良市街を眺めてから、石段と土塀に囲まれた、裏参道を歩くコースが好きだった。何度見ても飽きなかった。
東京にはない風景だと思ったから。

 

       

 

       
        

その最初の年にお土産として買ったのが、【池田含香堂】の「古代奈良扇」。
今も手元に残っている説明書によれば
「青によし奈良扇は、いつの頃より初まれにけん、・・(略)・・これを求め給はん人は、鶴の千歳、亀の萬年の寿を保ちて松の翠の色の常に替りなく呉竹の世々の末迄も、偏に御愛用をあふぎまつるになん」とある。
歴史を感じさせる、なんと優雅な文体か。
当時はこの説明書きなど読まずに、憧れの奈良を身近に感じる、小品として買い求めたことを覚えている。

 

       
              
              
買った当初は、扇子として使わずに絵柄を眺めて楽しんでいたように思う。
しだいに他の扇子に交じって使うようになった。
「それ見せて」
ありふれた扇子ではなかったから、そう言われると嬉しかった。

 

       
              奈良扇 おもて (猿楽の舞)

 

       
              奈良扇 うら (動植物)

 

会社を辞めて、職業訓練コースに通うことになったのは、5年前の6月始めの頃。
8月末日迄の3ヵ月間、ファイナンシャル・プランナー(FP)を目指す講座を受講した。
FPになるつもりなどはなく、保険や年金などの知識を得ることが出来れば、という軽い気持ちで。
ところが、カリキュラムを渡されてみると、肝心のFPの授業は全体の3割にも満たない。
その6割近くが簿記の授業だった。
まるで簿記を勉強するためのコースを選んだみたいだ、と不満が残った。

簿記の講師は意外にも女性で、すこぶるボーイッシュなI先生と紹介される。
手作りの問題集を用意するほどの熱い気持ちをもっていた。
苦手だと思って全く縁のなかった簿記が、少しずつ近づいてきたように思えた。
ただ、パソコンソフトを使うことで難なく処理される時代に、簿記を細かく学ぶことにどれほどの意義があるのだろう?
≪なるほどそうかもしれない。でも、何か問題が起こったときには(問題は必ず起こりますから)、簿記を知っているか知らないかが、大きく影響します。≫
I先生は、まるで私の気持ちを見透かしたかのように、力説した。

「先生が、その扇子にとっても興味を持ってるわよ」

私が使っていた奈良扇がいつの間にか、先生の目に留まったらしい。
間接的にそう聞かされて、悪い気がしなかった。
後で知ったが、I先生は講師の合間をぬって、イラストを描く仕事をしていた。
個展も開いているらしい。
イラストを描く合間に、講師の仕事をする、という方が正確だったかも知れない。

 

       
              I 先生の作品

 

夏休みを挟んでの簿記の授業。
最後まで簿記で終わるはずだったが、数人の受講生から異論が出た。

「自分たちはFPの試験に合格するのが一番なので、FP関連の補足授業をして欲しい」

いつの間にか、私たち全員がFP資格試験の受験生になっていた。
事務局から私たちの意向を聞かされて、I先生は哀しそうな顔をした。
先生にしてみれば、規定の時間をこなすために報酬を受け取っている。
結局、簿記かFPかどちらの授業を選ぶかは私たちに任された。
私はFPを選んだ、大多数がそうだったように。

全員のクラス名簿を作ることになって、I先生の住所を知った。
私から、奈良扇を贈ったのは、もうちょっと後のこと。
9月のFP試験に合格してからのことだった。
一ヶ月前の8月におよそ10年ぶりに奈良を訪ねて、自分のために奈良団扇と、先生のために奈良扇を買い求めていた。

 

       
              奈良団扇

 

関西へ向かう新幹線の中で、FPのための受験勉強をしていたことも忘れられない。
先生とは今も年賀状を交わしている、簿記の話題は全く無しで。

 

       
             当時のアルバム  二月堂の上から

 

       
              当時のアルバム  裏参道

 

※ 【IXY-nobさんの奈良の記事】そして【柴壱さんの扇子の記事】がキッカケになりました。有難うございました。

 


《昨日の陸》

       
              寝て過ごす

       
              立って過ごす


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雨降り [柴犬]

このところ、五月というのに雨降りばかり。
「五月晴れ」と言う言葉があったような。。。
いっこうに傘が手放せない。
快晴の朝でも、夕べには怪しげな空になる。
気分も部屋もジメジメする毎日。
でも、こんなときほど、『傘がない』(井上陽水詞・曲)の一節が浮かぶ。


♪行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ

       
              
そんなわけで??昨年10月以来、久しぶりに平和の森公園を訪ねた。
なお、以前の記事は【こちら】
気がつけば、あれから半年以上経っている。

       
              雨上がり

公園をめぐると、わんこが次々にやってくる。
ここは近所では数少ない、わんこOKの公園として、知られている。

       
              ドックラン広場で

       
              ドックラン広場の内と外

       
              ドックラン広場で わが道を行く

       
              ドックラン広場で わが道を行くⅡ

あちこちで飼い主たちの挨拶の声。
どこでも見かける光景だけれど、ここには独特の優しさがある。
お馴染みさんだけじゃなく、あまり行かない私たちにも居心地が良い優しさがある。
どうしてだろう?
そういえば、この公園の親睦クラブもあるらしい。
ドックラン広場(犬の広場)もクラブや皆で陳情した結果だ、と聞いたことがあった。

       
              池を見やる これ以上は近寄らない

       
              お花畑を見やる もっと近づく

≪こんにちは~≫
ブルテリアくん(♂11歳)と挨拶する。
遺伝のせいで、両目を6歳で失明したと聞かされた。
でも、しっかり歩いているよ。

       
              ブルテリアくんと

「黒デブ、朝帰りのココで~す」
明るく声の大きいおばさんが、矢継ぎ早に話す。
 
居た、居た、お待ちかねの君が居た。
黒柴のココ(COCO)ちゃんだ。
半年ぶりの再会。
よく見ると、ココちゃんのリードと首輪には、名前と電話番号が織り込んであった。
赤に金色の文字が読める、特注品。
何回逃げても、このお陰で翌朝には帰って来たそうな。
逃げ足は早いのね。

       
              ドックラン広場で ココちゃん動かず

       
              公園で ココちゃん動かず

雨があがって良かったね、陸。

       
              たくさんのわんこに逢えて 興奮

やっぱり歌で締めくくろうか。


♪思い出はいつの日も・・・雨

TSUNAMI

TSUNAMI

  • アーティスト: サザンオールスターズ, 桑田佳祐
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2005/06/25
  • メディア: CD

 



[昨日のようす]

①「照り降り人形」ドイツ版 (Das Wetterhaus)
ウチにある、天気予報。
部屋の乾燥状態によって、反応する。
天気の良い日は女性が、雨の日は男性が外に出てくる仕掛け。
つまり、湿気が多いと「雨」と判断する。
このところ男性だけが登場している。
女性の顔もみたいなぁ。

       
              男性が外に出ている=雨  

②置き忘れの傘
朝は雨が降って、その後は降ったり止んだりだった。
夜遅くなって、雨足が激しくなった。
これはお昼ごろ。

       
              駅のプラットホームにて

③昨日の陸
雨とは関係ある?

       
              一人遊び?


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もうひとつの「かもめ食堂」 [映画]

上映期間の終わり近くになって、慌てて観た『かもめ食堂』(荻上直子監督)だった。
早めに映画館に着いて、パンフレットなどを見ながら、次の上映時間までを待っていた。
私が知っている「かもめ食堂」について、あれこれと懐かしく思い出しながら。。。

       

私の「かもめ食堂」は、ヘルシンキ(フィンランド)ではなく、日本の小さな港町にあった。
小林聡美・もたいまさこ・片桐はいりがそこに居るはずもなく、こざっぱりしたおばさんが、ほとんど一人で細々と続けていた。
おにぎりやコーヒーではなく、魚中心の小料理と夜はお酒がメニューの中心だったろうか?幼かったこともあって、この辺の記憶があいまいだ。
覚えているのは、おばさんが作る玉子焼が絶品だったこと。
お店の名前は「かもめ食堂」ではなく、シンプルに「かもめ」。
私は「かもめのおばさん」と呼んでいた。

       

どういういきさつからか、「かもめのおばさん」と我が家は、家族ぐるみの付き合いをしていた。
といっても、おばさんが我が家を訪ねることはなく、亡くなった父が「かもめ」で、懇意にしているW社長と飲むのが常だった。
家族ぐるみといっても、おばさんには身寄りがなかった。
「かもめ」の二階がおばさんの部屋で、そこに私も自由に出入りしていた。
部屋の片隅に古い写真が数枚飾られていたが、私の知らない顔ばかりだった。
その中に、少女の写真もあった。
それが誰なのか、とうとう聞かずじまいだった。

おばさんが、W社長のいわゆる「愛人」と知らされたのは、ずっと後になってから。
W社長が交通事故で亡くなった後のことだった。
分骨して欲しいとの願いが叶わなかった、と父から聞かされて、初めて気がついた。
皆が知っていたのに、私だけが知らなかった。
父が以前ほどには「かもめ」に通わなくなって、すこしずつ疎遠になった。

私の結婚式には、華やかに盛装したおばさんが居た。
父が呼んでくれたと嬉しそうだった。
何十年ぶりかの再会だった。
式の翌日、主人と「かもめ」を訪ねた。
おばさんから、話があるのでどうしても来て欲しい、と耳打ちされたからだった。
お店で出すという、ラーメンをご馳走になったあとで、おもむろに指輪を渡された。
アクアマリンのように見えるが、本当のところ何の石か分からない。
はめてみると、私にはちょうど良い大きさだった。
それは私に渡そうと思って、長年預かっていた指輪だということだった。
おばさんから聞いた、この指輪についてのいきさつは、いづれ記事にしたいと思っているが、今回はここまでに留めたい。

指輪を受け取ってから1年も経たないうちに、おばさんは病気で亡くなった。
身寄りがないことを覚悟したかのような、あっけない死だった。

       

 

映画『かもめ食堂』については、【チヨロギさん】【saraさん】の記事がその雰囲気や内容を確かに伝えているので、そちらに譲りたい。

私には、映画の後半、主人公(小林聡美)が、さり気なく語る言葉が印象的だった。

「人はみんな変わっていくものですから」

旅行者(片桐はいり)が「かもめ食堂」を辞めたいと言い出しても、引き止めようとはしない。
何故引き止めないのか、と別の旅行者(もたいまさこ)に問われて語る言葉だ。
追いかけたり、引き止めたりしない生き方を選んで、ヘルシンキまで来たというのだろうか?
≪来る者は拒まず、去る者は追わず≫
そんな古い言葉を思い出した。

意外だったのは、エンディングに『クレイジーラブ』(井上陽水)が流れたこと。
俄かに心が浮き立つような気分を味わった。
これは案外、主人公のこれまでとは違う心の動きを暗示しているのかも知れない。

クレイジーラブ

クレイジーラブ

  • アーティスト: 井上陽水, 鈴木茂, 井上鑑
  • 出版社/メーカー: フォーライフミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1999/05/21
  • メディア: CD

もうひとつ、この映画から知ったのは、ヘルシンキという都市が、東京からたった10時間のフライトで到着するほどの近さにあるということ。
日本から一番近いヨーロッパだと知った。


《昨日の陸》

       
              遠くを見つめる?

       
              久しぶりに会った、【親子4シーズー】


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長めの散歩 [柴犬]

ゴールデン・ウィーク(GW)後半の土曜日、陸と長めに散歩した。
遠出する時間がとれず、近所をいつもとは違う方向に歩く。

はじめての町に入ってゆくとき
わたしの心はかすかにときめく
そば屋があって
寿司屋があって
デニムのズボンがぶらさがり
砂ぼこりがあって
自転車がのりすてられてあって
変りばえしない町
それでもわたしは十分ときめく

                    茨木のり子「はじめての町」より抜粋

 

       
              歩く 歩く

       
              足を止めて

       
              近くを探検

       
              遠くを探検

       
              こんな出会いも

       
              思わず笑みが

 

帰り道、見慣れたわんこに吠えられる。

       
              やっぱり カルタちゃん

 でも、良いよね、良いよね。
夕方には良いことがあったから。

       

       

       

 

【小母さま】のお花も、この日はまだ元気だった。

                  


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『明日の記憶』試写会で [映画]

とうとう、渡辺謙さんに会ってしまった。
この書き出しは、過去記事【ジョディ・フォスターさま】と同じですが。
糸井重里氏主宰【ほぼ日刊イトイ新聞】内の、『明日の記憶』スペシャル試写会(5月4日)での出来ごと。

       
             550組招待に当選

       
             試写会&トークイベント会場 (よみうりホール)
         
【明日の記憶】という映画のなにかしらの手伝いをしたい、と僕は言いました。この奇跡のような映画の、仲間になって自分たちなりの汗をかきたいと思ったのです」(「ほぼ日刊イトイ新聞」より)
そんな糸井重里さんと、『明日の記憶』の主演&プロデューサー、渡辺謙さんとのトークが上演後に予定されていた。
スーツ姿の謙さんとジーパン姿の糸井さんが、ひとつのベンチ(長椅子)に横並びに座る。
前後、上下、対峙ではなく、「隣り合う」ためのベンチ。
この日用意された、ベンチさえも大きなメッセージを持っていた。
これまで何通かのメール交換をしながら、この日二人は初対面だった。

       
             
≪いちばん話したいことを、この場では話そうと思って≫
この糸井さんの言葉でスタートした、トークイベントの詳細はいづれ「ほぼ日刊イトイ新聞」で明かされることだろう。
私には二人が、とても真摯に「隣り合い」、この映画だけでなく互いを、本気で理解したがっているように思えてならなかった。
快い時間だった。

そんな中から、謙さんが話した言葉をひとつだけ。
「この人があなたのお母さんですよ、突然そう紹介された気がしたんです」

原作を読んで、映画化したいとの強い衝動に突き動かされたことを、母親に例えた。
なぜなら、母親を自分で選ぶことは出来ない、自分の力の及ばないことであると。
つまり、この映画は彼にとって、運命的なことだったのだ、糸井さんがそう言い換えたように。

明日の記憶

明日の記憶

  • 作者: 荻原 浩
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2004/10/20
  • メディア: 単行本

storyは、50歳で若年性アルツハイマー病を宣告された主人公(渡辺謙)とその妻(樋口可南子)を軸に展開する。
原作は、主人公の一人称だったから、次第に記憶を失っていくさまがリアル(字をわざと間違えて表記するなど)で、まるで自分のことのように恐ろしく思えた。
映画の感想は、少し違う。
恐ろしいより哀しい、そして何だろう、訳もなく余韻が残る。

最後のシーンが象徴的だ。(ネタバレです)
若い頃に通った陶芸の窯場を主人公が訪ね、夜を明かす。
翌日、家へ帰る道すがら、彼を探しに来た妻と出会う。
彼は、妻に会釈して通り過ぎようとする。
ほっとした妻の顔が、愕然とした表情に変わり、やがて涙をにじませる。
妻の顔さえ分からなくなっていることを知らされる場面だ。
妻を演ずる樋口可南子さんが、ひと言も発することなく、表情の変化だけで心情を表すさまが、涙を誘う。

       

チラシには、
「……あなたと、います」夫婦の愛と絆。心に響く物語。
とあった。
余談だが、主人は「妻は夫をいたわりつ、夫は妻を慕いつつ。。。」と続く「壺坂霊験記」を連想したそうな。
間違いではないと思うけど。

この日のトークイベントに参加した全員に、糸井さんは「この映画の宣伝担当を任命します」と言われた。
会場では、全国共通の前売り券も扱っていた。
宣伝担当ならずとも、もう一度観たい、いや、何回か観たい映画であることは確かだった。
前売り券を買いに走っていた。

 

[追 記]

この映画への謙さんなりのこだわり。
①物語の進行に沿って、撮影したこと (順撮りという。そのために普通より撮影に時間がかかったし、監督との話し合いでいろいろと手直しが出来た)
②堤幸彦監督を始め、出演者の多くを、謙さんが直接依頼したこと 
③役作りのために、8㎏減量したこと (実際はこの病気に罹ると太る場合もあるそうだが、謙さんと監督の判断で痩せる方を選んだ)

※私が小説と映画の違いについて気づいたことのひとつ。
娘の結婚相手が、原作では「渡辺」だったが、映画ではたしか「伊東」だった。
「渡辺」ではサスガにまずい、と思ったのだろう。

 




《GW期間中の陸》

いろんな出会い?があった。

       
              クロ猫と遭遇

       
              シロ猫と遭遇

       
              虫と遭遇

       
             久しぶりに 【てっぺい君】


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