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浅川マキさん逝く [記憶]

浅川マキさん(歌手)が亡くなった。

名古屋での公演中、ホテルで倒れているのが発見された。
前日まで普通にライブをこなしていたという。
最後まで現役だった。

小柄な身体を包む黒のロングドレス、クレオパトラ風ロングヘア。
それがいつものスタイル。

かつて、新宿に「アートシアター新宿文化」という映画館があって、大島渚や吉田喜重など独立プロの映画を上演したり、まだ無名の蜷川幸雄らが芝居を打ったりした。
その劇場の裏手を地下に降りると「蠍座」という小さな小さな劇場(ステージ)があった。
彼女は蠍座に、とりわけ縁が深かった。

ブルースというか、ジャズというか、黒人霊歌というか。
彼女の歌には暗いイメージがつきまとうが、暗い気持を引きずら
なかった。
寺山修司や彼女自身による作詞が、ストーリーを作り上げて説得力があった。
彼女の声を通すと、そこに迫力も加わった。
歌の合間に呟くトークも魅力のひとつ。
洒脱でユーモアに溢れ、大人の女性を思わせた。

彼女の年越しライブの記事を見つけたのは、10年位前のこと。
まだまだ現役で活躍しているらしい。
ふいに、ライブに行ってみようという気になった。

会場は「新宿PIT-INN 
煙草のけむりが充満する中、グラス片手に彼女が登場した。
ドレスもヘアスタイルも昔のままだったけれど、小柄な身体はますます小さく感じられた。
もちろん、オールスタンディング。(というか座席はそもそもなかった)
人混みの中では、彼女は遠かった。
知っている歌はひとつもなかった。

享年67歳。
亡くなって初めて知る彼女の年齢。
予想していたよりもずっと若かった。
僭越ながら、亡くなり方が生き方でもあるような彼女の一生だったと思いたい。


       120レコード.jpg
             手持ちのレコード (プレーヤーが無くて聞くことが出来ない)

            

続きます


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懐かしのイノダ~関西旅行② [記憶]

甲子園の翌日は、阪急電車で烏丸へ。
京都の繁華街ではなく、懐かしい喫茶店を目指した。
喫茶店のすぐ近くには、錦市場もあるはず。
なによりも、帰りの時間までをゆったり過ごせそうだった。
奈良の東大寺を歩き回った昨年が嘘のよう。 (こちら)
関西の暑さは特別だと見に沁みていた。

目的の喫茶店には、想い出があった。

       802イノダ本店.JPG

はるか昔、社員旅行で京都を訪れた時のこと。
7~8名のグループに分かれて大原を観光した後に、コーヒーを飲むことになって、私がこの店を推薦した。
ところが、「なにそれ?」という大方の反応。
“京都に旅行していて、この喫茶店を知らないなんてモグリだよ~”

本当にそう信じていたから、思わず口走ってしまった。
その勢いに押されたかのように、全員で向うことに。
最近までこの店は東京へ進出しなかったから、知らなくても仕方がなかったと、今なら分る。

ここでは、ミルクや砂糖をあらかじめ調合したコーヒーを出すことで知られている。(もちろん、調合なしも選べる)
ブラック党には、これがいささか不評だった。

       802ケーキセット.JPG
                調合したコーヒー (レモンパイのケーキセット)

           802アイスコーヒー.JPG

夫には、ここのアイスコーヒーに亡き友との想い出があるらしかった。

目的の喫茶店、【イノダコーヒ本店】に、夫の携帯ナビで辿り着く。
実は、ここは私たちには分りにくい場所で、これまでも何回となく道に迷っていた。

       802イノダ.JPG

       802イノダ店内.JPG

       802イノダ店内5.JPG

               802イノダ店内6.JPG

案内されたコーナーに腰を落ち着ける。
何年ぶりか、お店で味わうコーヒーの味。
少しも変わっていないようだった。

でも、アップルパイって、前は熱々じゃなかったっけ?
それで、
ホイップクリームも付いていたよね?
レモンパイは少し小さくなったかも?

夫と想い出を確認しあった。

ナビのおかげで、錦市場への近道も分った。
友人に教えてもらった地下鉄を使えば、京都駅から難なく来れることも。

今度はいつでも来ることが出来る。

          802イノダ店内4.JPG

イノダコーヒ 本店



※※※※※

[錦市場周辺にて]

①見かけた風景


       802銭湯2.JPG
                  錦湯

       802有次にて.JPG
                   有次にて

②買ったもの

       802錦にて.JPG
                  口に入るもの

       802錦市場で.JPG
                  使うもの



[お知らせ]

『わが魂は輝く水なり』の放送日が決まりましたので、ご参考までに。
私が観劇した日にたまたま収録されたものです。(こちら

NHK教育テレビ 「芸術劇場」
8月8日(金)午後10:33~午前0:55 




≪帰宅した日の陸≫


       802帰宅した日.JPG
      


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雪の日?? [記憶]

ここ数日、寒い日が続いて、昨日はとうとう雪になった。
東京では、2年ぶりの雪景色だという。 (1月23日asahi.com)

 

       

       

 

慌てて、2年前の雪の写真を探し出す。

       
                2006年1月21日 9時7分

 

今年の積雪はこんな具合。 ↓
しばらく降り続いても、2年前のようには積もらなかった。

       
                2008年1月23日 8時22分

 

2年前の同じ頃のこと。
【ガンバレのおじさん】から陸に声が掛かった。
いつものように、アパートの2階から。

       

 

今ではアパートは取り壊され、一戸建てに生まれ変わった。
それからは、別の人の住まいになっている。
おじさんには、その後会っていない。

       

       

 

今朝はといえば
もうすっかり雪のあとかたもない。
よく観れば、梅の木にはもう蕾が膨らんでいた。

       

       

 

♪消えそうに 咲きそうな 蕾が今年も僕を待っている
  今もまだ掴めない あなたと描いた夢
 立ち止まる僕のそばで
 優しく開く笑顔のような 蕾を探してる 空に
                   ~詩:小渕健太郎 「蕾」より抜粋~

この唄が似合いそうな朝だった。

今日の陸といえば、玄関で日向ぼっこ。
昨日の雪は、あれはもしかして陸の夢。。。

        


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丸ビルの思い出 [記憶]

時計を少し戻して。
kurumiさんにお会いする数日前に、友人たちと話題の「新・丸ビル」探検へ出かけた。

 

       
                

「丸ビル」と聞くと、懐かしさでいっぱいになる。
丸ビル近くに勤務していた、すず子さんのことを思い出して。

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思い出の鎌倉 [記憶]

関東地方も9日、【梅雨入り宣言】があった。
梅雨の季節になると、紫陽花見物を兼ねて鎌倉へよく出かけた。
鎌倉のひとつ前、北鎌倉で電車を降りて、10分程度の道のりを【明月院】へと向かう。
「明月院」の別名は紫陽花寺。
紫陽を味わうには格好の場所だった。

その途中に、【東慶寺】があった。
紫陽花寺へ向かう人々が列をなすようになると、ここへ寄り道するようになった。
「東慶寺」は、縁切り寺・駆け込み寺などと呼ばれた尼寺。
四季折々の花が咲き乱れて、紫陽花の季節を過ぎても充分に楽しむことが出来た。
ここで眠る、小林秀雄、高見順、田村俊子、野上弥生子など著名人のお墓を巡ったことも忘れない。

 (当時のアルバムから 東慶寺)

       

       

お昼は、鶴岡八幡宮近くの「マドラス」でカレーを食べるのがいつものコース。
車庫を改造したかのようなお店を、純朴そうな若い夫婦が切り盛りしていた。
時折、丸いメガネをかけた中学生位の男の子が、お店を手伝うことがあった。
年齢の割に、気配りもバッチリ、ソツのない応対ぶりが目を惹いた。
味は本格的で辛味が利いていた。
カレーを待つ間、桜色したパン(だと思う)の揚げたてが、2,3枚配られた。
エビ煎餅のような味で、大きさもバラバラ、自家製の熱々をサクサクと食べた。

数年後に訪ねると、中年の女性と大柄な若者が応対してくれた。
ご主人と男の子の姿はなかった。
そんなことを思っていると、若者が注文をとりに来た。
気配りあふれる応対ぶり、そして少しオシャレな丸いメガネ。
あの時の男の子だ!
こんなに大きくなって。。。
それだけの年月が経っていたことを、今更ながら気づかされた。
熱々のサクサクも辛いカレーも以前と変わらない味だった。

「名月院」だけではなく、「東慶寺」も混雑が目立つようになって、いつしか鎌倉への足は遠のいた。

 

4年前、友人が鎌倉でヨーロピアンポーセリンの個展を開いた。

       
               4年前の個展会場

ヨーロピアンポーセリンとは、カップやお皿などの洋食器に、花や小鳥、野菜や果物などを絵付けしたもの。
ひとつひとつが手作りだから、厳密に言うと同じものはない。
配色や絵のタッチには、こまやかな心遣いとセンスが光っていた。

 (4年前に購入したもの)

       
               レターケース または 果物かご

       
             お皿 (絵柄が全て違う 絵をあえて外側に)
   
このとき鎌倉を訪ねたのは、何十年ぶりかのこと。
ふいに「マドラス」を訪ねてみようと思い立った。
鶴岡八幡宮の入り口を右に曲がって、歩くこと数分、カレーの香りが近づいてくる。
はずだった。。。


「マドラス」は見当たらなかった。

 

その友人が、今年も同じ鎌倉で個展を開いた。

       
               今年の個展

       
               花瓶・ペンダントなど

       
               おひなさま (友人が購入)
               
       
               小物入れ2品 (私が購入)

もう「マドラス」は訪ねなかった。
ネットで検索しても、その名前は鎌倉にはなかったから。
あのときの若者は今どうしているだろうか?
どこかでカレーを作っていたら、飛んでいって食べてみたい。


《梅雨入り後の陸》
気がつけば、紫陽花三昧の陸だった。

        
               その1

       
               その2

       
               その3

 (おまけ)

       
              散歩でずぶぬれ 鼻を雨でぬらす


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奈良扇 [記憶]

その昔、夏休みに5年連続して奈良に旅行したことがある。
東大寺二月堂の上から奈良市街を眺めてから、石段と土塀に囲まれた、裏参道を歩くコースが好きだった。何度見ても飽きなかった。
東京にはない風景だと思ったから。

 

       

 

       
        

その最初の年にお土産として買ったのが、【池田含香堂】の「古代奈良扇」。
今も手元に残っている説明書によれば
「青によし奈良扇は、いつの頃より初まれにけん、・・(略)・・これを求め給はん人は、鶴の千歳、亀の萬年の寿を保ちて松の翠の色の常に替りなく呉竹の世々の末迄も、偏に御愛用をあふぎまつるになん」とある。
歴史を感じさせる、なんと優雅な文体か。
当時はこの説明書きなど読まずに、憧れの奈良を身近に感じる、小品として買い求めたことを覚えている。

 

       
              
              
買った当初は、扇子として使わずに絵柄を眺めて楽しんでいたように思う。
しだいに他の扇子に交じって使うようになった。
「それ見せて」
ありふれた扇子ではなかったから、そう言われると嬉しかった。

 

       
              奈良扇 おもて (猿楽の舞)

 

       
              奈良扇 うら (動植物)

 

会社を辞めて、職業訓練コースに通うことになったのは、5年前の6月始めの頃。
8月末日迄の3ヵ月間、ファイナンシャル・プランナー(FP)を目指す講座を受講した。
FPになるつもりなどはなく、保険や年金などの知識を得ることが出来れば、という軽い気持ちで。
ところが、カリキュラムを渡されてみると、肝心のFPの授業は全体の3割にも満たない。
その6割近くが簿記の授業だった。
まるで簿記を勉強するためのコースを選んだみたいだ、と不満が残った。

簿記の講師は意外にも女性で、すこぶるボーイッシュなI先生と紹介される。
手作りの問題集を用意するほどの熱い気持ちをもっていた。
苦手だと思って全く縁のなかった簿記が、少しずつ近づいてきたように思えた。
ただ、パソコンソフトを使うことで難なく処理される時代に、簿記を細かく学ぶことにどれほどの意義があるのだろう?
≪なるほどそうかもしれない。でも、何か問題が起こったときには(問題は必ず起こりますから)、簿記を知っているか知らないかが、大きく影響します。≫
I先生は、まるで私の気持ちを見透かしたかのように、力説した。

「先生が、その扇子にとっても興味を持ってるわよ」

私が使っていた奈良扇がいつの間にか、先生の目に留まったらしい。
間接的にそう聞かされて、悪い気がしなかった。
後で知ったが、I先生は講師の合間をぬって、イラストを描く仕事をしていた。
個展も開いているらしい。
イラストを描く合間に、講師の仕事をする、という方が正確だったかも知れない。

 

       
              I 先生の作品

 

夏休みを挟んでの簿記の授業。
最後まで簿記で終わるはずだったが、数人の受講生から異論が出た。

「自分たちはFPの試験に合格するのが一番なので、FP関連の補足授業をして欲しい」

いつの間にか、私たち全員がFP資格試験の受験生になっていた。
事務局から私たちの意向を聞かされて、I先生は哀しそうな顔をした。
先生にしてみれば、規定の時間をこなすために報酬を受け取っている。
結局、簿記かFPかどちらの授業を選ぶかは私たちに任された。
私はFPを選んだ、大多数がそうだったように。

全員のクラス名簿を作ることになって、I先生の住所を知った。
私から、奈良扇を贈ったのは、もうちょっと後のこと。
9月のFP試験に合格してからのことだった。
一ヶ月前の8月におよそ10年ぶりに奈良を訪ねて、自分のために奈良団扇と、先生のために奈良扇を買い求めていた。

 

       
              奈良団扇

 

関西へ向かう新幹線の中で、FPのための受験勉強をしていたことも忘れられない。
先生とは今も年賀状を交わしている、簿記の話題は全く無しで。

 

       
             当時のアルバム  二月堂の上から

 

       
              当時のアルバム  裏参道

 

※ 【IXY-nobさんの奈良の記事】そして【柴壱さんの扇子の記事】がキッカケになりました。有難うございました。

 


《昨日の陸》

       
              寝て過ごす

       
              立って過ごす


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チャンス [記憶]

先月、佐々木かをりさん(【イー・ウーマン】代表取締役)の講演を聴く機会があった。
佐々木さんというと、かつて「ニュース・ステーション」(テレ朝)で、フリーランスの海外リポーターとして活躍していたという記憶があった。
講演でも当然のことながら、そのことが取り上げられた。
誰でも、どうやってリポーターの仕事を手に入れたかに興味があるが、彼女の場合それは、数々の小さな選択の結果だった、という。

       
               講 演 会 場

数年ぶりに、大学時代の先輩(雑誌編集者)から英文の翻訳を頼まれ、その原稿を届けに、先輩のオフィスを訪ねたことからチャンスは広がる。
その時の雑談で、先輩が昨日飲みに行ったお店の話になった。
お店には「ニュース・ステーション」の担当者が居て、リポーターを探している、という話だった。
「君みたいな人いいんじゃないかなあ、興味ある?」
と聞かれて、全くそういう仕事を考えたこともないのに
≪よくわからないけど、紹介してくださいますか?≫と答えたのが発端だった。
ところがその翌日、先輩が局へ電話すると、スタジオ見学ならどうぞ、という対応だったという。
スタジオ見学の趣味はないけど、と思いながら、それでも彼女は局に電話してみる。
そして、リポーターのことは忘れて、スタジオ見学をする。

結果、彼女は番組のリポーターに選ばれるが、ここに至るまでいくつもの小さな選択があった。
・毎年、その先輩に年賀状と暑中見舞を出していたこと
・頼まれた翻訳原稿を郵送せずに届けたこと
・予想外の仕事を受け入れる気持ちがあったこと
・スタジオ見学を断らなかったこと


「毎日の行動や考え方の一つ一つを自分が自分の意志で選択をしていくと、その集合体として、チャンスがあるのではないだろうか」(「自分が輝く7つの発想」より)
この積極性が彼女の身上だろうか。 現実も是非こうであって欲しい。

自分が輝く7つの発想―ギブ&テイクからギブ&ギブンへ

自分が輝く7つの発想―ギブ&テイクからギブ&ギブンへ

  • 作者: 佐々木 かをり
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2001/12
  • メディア: 文庫


そういえば、古い話になるが、『チャンス』(原題BEING THERE)という映画があった。
主演した、ピーター・セラーズファンの友人に誘われて観たことを覚えている。
ピーター・セラーズというと、ピンクパンサーのクルーゾ警部で知られているが、この作品はこれまでの彼のコメディ路線とは少し趣きが異なっていた。
たしか、アカデミー賞にもノミネートされた作品だったと思う。

チャンス

チャンス

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • 発売日: 2001/07/06
  • メディア: DVD


大富豪に雇われる庭師で、読み書きも出来ず、テレビでしか世間を知らない主人公が彼。
雇い主の死をキッカケに大富豪宅を出る羽目になった、庭師のチャンス(Chance、the gardener)
が、実業家のチョンスー・ガーディナー氏と間違われたことから、物語は展開していく。
カン違いの連続で、ついには大統領候補にまでのし上がるという内容だった。

この中で、彼には庭師から、大統領候補に至るまでの間、いくつもの選択があった。
それなのに、無意識の選択で、あれよあれよという間に上り詰めていく。
無垢な彼が、周囲の思い込みによって祭り上げられるさまが哀しくも可笑しかった。

いつの間にか、「チャンス」を全く違う場面で思い出していた。




 一方、こちらにも全く別の「チャンス」が。。。

今朝、お兄ちゃんのトラックを見つけて、乗る「チャンス」を窺う。

       
             お兄ちゃんのトラックに 乗りたいな

       
             あれれ、ここからは乗れないや

       
             お兄ちゃん乗せてくれないかな?

 

夕方、お兄ちゃんに会ってトラックに乗る「チャンス」が来た!

       
             ジャンプ! もう一回ジャンプ! 
           
       
             お兄ちゃん 乗れないよう(涙)


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1月は往く・2月は逃げる。。。 [記憶]

冬季オリンピックも終わって、気がつけば早や弥生三月。

       
            我が家のお雛さま

       
            雛菓子あれこれ

一年のうちでも、一月から三月までは、ことさら早く駆け抜けるようだ。
そういえば、こんな語呂合わせを聞いたことがある。
≪一月は往く・二月は逃げる・三月は去る≫

春を待つ気持ちで、振り返ってみることにする。

       
            陸も思い出に浸る?

 

≪美味しいもの編≫


☆一月

       
           和菓子 【うさぎや】

        
           店先にならぶ一月

☆☆二月

       
           板前割烹 【分とく山】

       
        長嶋茂雄氏が描いた「新世紀生命富士」が入口に

  
  
  
  
             いただいた二月のお料理 (一部)

 

≪陸の行動編≫

☆一月

       
           つつじ公園デビュー

       
            すべり台はちょっと遠慮したい

       
           トラックの下はどうなっている

☆☆二月

       
           ベンチに座ろうか

       
            ついに運転席へ

       
           素早い身のこなし

≪そして。。≫

★一月に旅立った

       
           アルちゃん (昨年12月27日撮影)

★★二月に旅立った

  茨木のり子さん

もはや できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ 

                             『倚りかからず』より                                  

                     




≪昨日の陸≫

       
           耳をさわってね

       
           やっぱり疲れちゃった


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檸檬(レモン) [記憶]

2月は、大学入試のシーズン。
朝の通勤時に、乗換駅で多くの受験生に遭遇したことを昨日のことのように思い出す。
一様に大きめなバッグを提げて、硬い表情をしていた。
これは、いつの時代にも共通する受験生のスタイル。
それでも、大学近くのコンビニで買物をする列を見ると、時代が変わったことを実感させられる。

受験。そして、大学生活。
過ぎてしまえば懐かしさで溢れてしまう日々に、つい思い出すメロディがある。

私花集〈アンソロジイ〉

私花集〈アンソロジイ〉

  • アーティスト: さだまさし, 渡辺俊幸, Jimmy Haskell
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2005/02/23
  • メディア: CD

♪喰べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ
            ―さだまさし作詞・作曲『檸檬』より

彼のファンでもなんでもないけれど、この歌詞には惹かれるものがあった。
聖橋を望む、お茶の水駅界隈は、古くから学生街として知られている。
私の大学はここにはなかったけれど、卒業後、出版社に勤める友人を訪ねて何度か降り立った。
改札口を出てすぐの交差点を学生に混じって渡る時、決まって感傷的な気持ちに襲われるから不思議だった。
この歌のせいだったかも知れない。

『檸檬』に連動したかのように、駅近くに「LEMON」という名前の画材屋があった。
やがて同じ名前の喫茶店もお目見えした。
この歌を意識しながら、店を覗き、お茶を飲んだりもした。
その後しばらく経って訪ねると、記憶していた「LEMON」の文字は辺りから消えていた。

私にとっては、学生時代を彷彿とさせる、『檸檬』の歌詞とメロディ。
この時期になると、決まって思い出す風物詩。

※ 追記
大好きな詩人、茨木のり子さんが亡くなった、とのニュースが流れた。
享年79歳。
「戦後の女性詩人では最も重要な方でした。姿勢が常にキリッとしていて、決して時代に安易に即応しようとはせず、現実にまっすぐに立ち向かっていました」(2月20日付「朝日新聞」より)
この大岡信氏のコメントが、彼女をあますところなく語っていた。
彼女の『わたしが一番きれいだったとき』や『自分の感受性くらい』が好きだった。

ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを 近親者のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを 暮しのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

                   ―茨木のり子『自分の感受性くらい』より

この時期に思い出す、悲しい出来事になった。

自分の感受性くらい

自分の感受性くらい

  • 作者: 茨木 のり子
  • 出版社/メーカー: 花神社
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 単行本

《きのうの陸》

       
           陸もビジネス誌を読む?

 ※ 補足
       
           実は、ビジネス誌を噛む?


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いい気になること [記憶]

「東横イン」がホテル建設をめぐり、二重図面で改造工事を行ったことが大きく取りあげられている。
そんななか、ホテル経営者が記者会見でみせた態度が気になった。
「正面が駐車場だとホテルとしての見てくれが悪い。報告を受けて僕も、まあいいだろう、とっちゃえと考えた。やったことは仕方がない」(asahi.com1月27日付)
「すみません」との謝罪もあったが、あとに続く言葉がこれでは少しも真実味がない。
ホテルを全国的な規模にまで発展させたのが、この経営者だと知って、自信と驕り、そして危うさを感じずにはいられなかった。

       
        各自治体が現地調査する 「NHKニュース845」(1月31日)より

彼は、『ローマ人の物語』で知られる、塩野七生さんがかつて、エッセイで述べていたカリスマ的なタイプの人間だと思った。
その人が居なければ、会社の今日の繁栄はない、しかしその一方で、その人が居るせいで、会社は衰退し滅びの道を走る。
気がつけば、「ダイエー」「西武」「ライブドア」。。。カリスマ的な経営者だった。
引き際を常に考えろ、ということだろうか。

キリストの勝利 ローマ人の物語XIV

キリストの勝利 ローマ人の物語XIV

  • 作者: 塩野 七生
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/12/27
  • メディア: 単行本

(最新刊)

私も、はるか昔、危うい体験をした。
入社して数年、仕事もそれなりに覚えてきた頃だった。
あとから同じ部署に異動してきた、AMさんとどうもソリが合わなかった。
年齢はAMさんの方が少し上、彼女はテキパキと仕事をこなすが、一方で自分のやり方を頑として譲らないタイプだった。
部署が違っていた頃は、むしろ親しい方だったと思う。
向かい合って仕事をするようになると、どうもいけなかった。互いに気まずくなった。
≪馬には乗って見よ 人には添うて見よ≫ 格言が的を射ていると実感した。

思い詰めたあげく、上司のH課長に相談した。
一生一緒に仕事をする訳ではないから、と気持ちを切り替えることが出来なかった。
部下として仕事のイロハを教わる過程で、信頼し尊敬もしていた上司だからと気安く考えていた。
H課長は、開口一番 「君は、どの部署へ移りたいの?」
厳しい表情、そしてこれまでにない強い口調だった。
。。。そんな話をした覚えはなかった。もし異動するとしたら、後から来たAMさんだ。
そう思って全く納得出来なかったが、課長のあまりの迫力に正直なところ、言葉が出なかった。
結局は、私が相談を取り下げて、表面上は何も変わることがなかった。

あの時、課長に反発して他部署に異動していたら、その後の仕事人生はどうなっていただろうか?
仕事内容に不満がある訳ではなかった、むしろ自分には合っていると思っていた仕事を突然失うことになって、私はどこへ行っただろうか?
組織というものを実感した、大きな転換点だったと思う。


ちなみに、AMさんはその後しばらくして異動し、ほどなく退職した。その後の消息は知らない。
H課長とは長く一緒の部署で働き、今でも年賀状のやりとりをしている。

《今週の陸》
各地で??なでられ、甘えて、いい気になった陸だった。

       
           なでられて

       
           なでられて

       
           甘えて

       
           上機嫌で

       
           【お兄ちゃんのトラック】に乗る?


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