『グッドナイト スリイプタイト』 [演劇]
土曜日の夕方とあってかなりの人出。
盛装した女性が多かったのは、披露宴帰りだろうか?
披露宴といえば結婚。
そして結婚といえば。。。
PARCOプロデュース 『グッドナイト スリイプタイト』 (作・演出:三谷幸喜)
タイトルの意味は、「スリイプタイト」から、就寝中の金縛りのこと?
三谷氏が開演5分前のアナウンスで、そう言って笑わせる。
もちろん、そんな訳は無い。
正しい意味は、「ぐっすり、おやすみ」。
そして、日本語の「ぐっすり」は、英語の「グッド・スリイプ」に由来しているらしいと。
つまり、グッドナイト・スリイプタイト →グッド・スリイプ →グッスリ。
もちろん、そんな訳は無い。。。と思う。
『愛と青春の宝塚』 [演劇]
このフレーズを茶化さずに言うのは、かなり気恥ずかしい。
ところが、この芝居では大まじめ。
それどころか、これがモットーでもあるから、気恥ずかしいなんて言ったら罰当たり。
その芝居とは、
『愛と青春の宝塚~恋よりも生命よりも~』 (脚本:大石静、演出:鈴木裕美)。
2002年にテレビ(CX)で放映されたドラマの舞台化。
演ずるのは、すべて元タカラジェンヌたち。
そして、今年で52年の幕を下ろす、新宿コマ劇場のファイナル作品。
・・・正直に言えば、これらの話題よりも、鈴木裕美さんの演出に興味があった。
彼女の名前を知ったのは、もう10年以上昔のこと。
小劇場が活動の中心だった当時からみれば、彼女の「出世」は素直に嬉しかった。
『シャープさん フラットさん』 [演劇]
劇団結成15周年を記念しての、二本立て興行。
特徴的なのは、演目もセットも同じで、結末が違う二本の芝居だということ。
役者たちを、≪ホワイト≫と≪ブラック≫の2チームに分けて、交互に上演するユニークな試み。
ナイロン100℃ 32SESSION 『シャープさん フラットさん』 (作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)
ブラックチームを観た日 (10月18日)
『人形の家』 [演劇]
詳しいストーリーは知らなくても、結末だけはとてもよく知られている作品。
シス・カンパニー公演 『人形の家』 (作:ヘンリック・イプセン、演出:デヴィッド・ルヴォー)。
主人公のノラを演ずるのは、宮沢りえ。
プロデューサーによれば、この芝居は初めに彼女ありき、だったという。
客席の中央に大きな四角のステージ。
白い布がカーテンのようにこのステージの天井から床までを覆っている。
ステージ近くの席に座ると、中でボール遊びに興ずる子供たちの姿が歓声とともに透けてみえた。
子供たちが走り去り、一瞬のうちに白い布が外れて、四角いステージがゆっくりと廻りだす。
開演。
気がつくと回転は止まって、ノラ(宮沢りえ)がステージ中央に立っていた。
顔が隠れるほど大きなつばの帽子、丸いスプリングの下着が揺れるドレス、両手に溢れる高級店の紙袋。
まさにドール(人形)の出で立ち。
観客が四方を取り囲むステージにふさわしい登場だった。
休憩を2回挟んで、2時間50分の上演。
幕を追うごとに、セットが少しずつ取り除かれて、しだいにシンプルになるステージ。
それがノラの変化をよく映し出している。
1幕目 弁護士の夫(堤真一)に浪費癖をたびたび注意される、無邪気なノラ。
2幕目 銀行の頭取へと出世する夫に秘密の借金を暴かれまいと、必死のノラ。
3幕目 全てが明らかになって判った夫の素顔に、打ちのめされるノラ。
最後のシーンには、向かい合う椅子が2つだけ。
ノラは、白のブラウスと黒のタイトスカートという出で立ちに変わる。
一方の椅子に座った夫に、3人の子を残し出で行くことを決然と伝えるノラ。
葛藤を振り切って自分に嘘をつくまいとするノラ。
その言葉には説得力があった。
1879年に書かれたセリフが、2008年の現代にも通じることを認めないわけにはいかなかった。
それもこれも、ノラが宮沢りえであってこそ。
彼女の圧倒的な存在感がこの芝居の全てだった。
余談になるが、カーテンコールでは、堤真一以外の出演者全員が、髪型も含めて普段着のようなラフなスタイルに着替えているのが面白かった。
とりわけ、直前まで登場していた宮沢りえの早替りにはビックリ。
堤は、最後までステージに残るから物理的にも着替える時間がないのだけれど、これも彼だけが取り残されているように思えたりもした。
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[情報]
出かけた先で知った情報。
なんというか、羨ましいような。。。
渋谷東急本店前で 現在工事中
西武新宿駅で 9月25日現在
≪陸の一週間≫
なんというか、余裕の陸。
『女教師は。。。』 [演劇]
『欲望という名の電車』(著者:テネシー・ウィリアムズ)を芝居で観たのはいつだったか。
奈良岡朋子が主役のブランチを演じていて、ナレーターなどで知っている彼女のゆったりした口調が、はすっぱな役柄には似つかわしくないと思ったのを覚えている。
いま思えば、それが高貴な育ちの元教師・ブランチにはむしろ適役だったのかも知れない。
・・・そんなことを思い出しながら観た芝居。
『女教師は二度抱かれた』 (作・演出:松尾スズキ)
松尾氏によれば、この作品は『欲望という名の電車』がモチーフになっているという。
ブランチを思わせるのは、演劇部の顧問だった元高校教師・山岸諒子(大竹しのぶ)。
高校時代に彼女と過ちを犯した生徒・天久六郎(市川染五郎)は、今や小演劇界では名の知れた演出家となった。
歌舞伎俳優・滝川栗乃介 通称タキクリ(阿部サダヲ)のオファーで、天久は新作を手がけることに。
そこへ、諒子が女優(自称)として突然現れ、その新作に自分を出演させろと天久に迫る。
天久は、ホモセクシャルなタキクリに振り回され、狂気を含んだ諒子につきまとわれる。
染五郎の目の前で、ワガママな歌舞伎役者を阿部サダヲに演じさせる発想が面白い。
冒頭、天久がベルトコンベアーで仕事をこなす工場のダメ工員として、上司から嫌味たっぷりにどやされるシーンから幕が上がる。
休憩時間になって、パートのオバサン相手に茶飲み話として女教師との過去を語り始める天久。
天久にとっては、その程度の出来事だったというように。
すると、いつのまにか話し相手は諒子に代わって(実際に大竹しのぶが演ずる)、天久を脅かす。
諒子にとっては、その後の人生を大きく失う出来事だった。
この象徴的な始まりは、演劇人となった現在の天久が風俗嬢の部屋で見た夢の話。
ここからストーリーは、現在進行形で進む。
途中、天久と諒子の生々しい過去も劇中劇として用意されていた。
最初は肩に力が入ったが、これは私にも分かりやすい芝居であるらしい。
さすがにNHKはムリ?
ギャグ満載のように思えるセリフもおちゃらけに終わらず、笑わせた後で納得させられたりもした。
フランス人の演出家ルクルーゼ(!)として、あるいはオカマバーの経営者として登場し、まともに喋らず、にょごにょごで貫く、役者・松尾スズキのはじけぶりも、印象に残った。
諒子の元婚約者で、今は彼女のプロダクション社長・鉱物圭一(浅野和之)が経営していたのが、「動物園」。
その「動物園」での、諒子と天久の情事。
女優としての諒子がこれまで唯一こなした仕事が、その「動物園」のCM。
そして、見世物としての「動物園」を意識させる、諒子と天久のラストシーン。
「動物園」がキーワードのように続く。
これは、『欲望という名の電車』を書いた、テネシー・ウィリアムズの出世作『ガラスの動物園』を意識してのことだろうか?
そんな想像を逞しくした。
休憩を含めて3時間半の上演。
ストーリーの他にも、芸達者な面々の歌あり、踊りありで楽しめる芝居だった。
若い友人が、松尾氏の劇団(大人計画)に夢中になるのも分かる気がした。
ただ、芝居のタイトルも含めて、セリフなどもあけすけ過ぎるのは個人的に抵抗が残った。
それが松尾氏のやり方だと分かってはいるが。
そして、そう思うのは私だけではない、と思われる出来事があった。
東急本店に、いつもシアターコクーンで上演中の芝居の垂れ幕が大きく掲げられているのに、今回は見当たらなかった。(写真なし)
他の方のブログでそう書かれていたから、私も観劇当日にそれを確認している。
このタイトルを意識したとしか考えられなかった。
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[お土産]
夫の海外旅行(出張)のお土産品から。
①8月18日付の新聞
オリンピックにはお国柄が。
USA TODAY (同日の朝日新聞)
②シカゴ美術館のコレクションパズル
キューブの動かし方で、9作品が現れる。
③Tシャツ類(一部)
安くてビックリ。
④これは何?
正解はコチラ↓
陸用の敷物
≪陸の一週間≫
上機嫌で、階段を上る。
でも、この歳(もうすぐ12歳)になって何故?
おまけ
陸も私も飲めないもの
『かもめ』 [演劇]
チェーホフの代表作。
これまでに多数の翻訳本がありながら、今回の上演用に新たに翻訳されたという贅沢さ。
3月にオープンしたばかりの「赤坂ACTシアター」での記念上演。
もちろん、誰もが知る豪華なキャスト。
生涯に一度はこの作品を演出したい、そう熱望した演出家の手によるもの。
・・・観る前から相当に力が入った思い入れの強い芝居だった。
『かもめ』 (作:A・チェーホフ、訳:沼野充義、演出:栗山民也)
座席数1300超という、かなり広めの劇場。
1階M列という私の座席が、予想よりも前方にあった。
19世紀末のロシアが舞台。
予備知識を持たないで観ると、登場人物の関係を掴むのに時間がかかりそうだった。
6組のカップルによる恋愛ドラマが、そうさせているともいえた。
例えば、このようなカップル。↓
①トレーブレフ(藤原竜也) → ニーナ(美波)
②ニーナ → トリゴーリン(鹿賀丈史)
③トリゴーリン → アルカージナ(麻美れい)
④メドベジェンコ(たかお鷹) → マーシャ(小島聖)
⑤マーシャ → トレーブレフ
⑥ポリーナ(藤田弓子) → ドルン(中嶋しゅう)
全くの片恋 (⑤)
かつての恋人 (①・②・⑥)
今はとりあえず結ばれている (③・④)
それらはどれも現在進行中という、ややこしさ。
そして、どれもが互いをしっかり見ることをしないという不幸せ。
さらには、前衛的な作法での芝居をめざす、息子・トレーブレフと、すでに名声を得ている大女優の母・アルカージナの対立。
ここに、母の恋人の売れっ子作家・トリゴーリンも絡んでの、芸術論議も加わる。
達者な役者たちのなかで、ニーナを演じた美波がいちだんと光り輝いていた。
前半は、白のドレスで裕福な地主の娘を明るく軽やかに演じた彼女が、後半では、黒を身にまとい、生活に疲れた売れない女優を演ずるという落差が鮮やかだ。
「私はカモメ」
簡単に撃ち落されてしまうカモメに例えて、そう自虐的に話すニーナ。
しかし、そういう彼女こそ、耐える能力を蓄えてたくましくなっていた。
彼女を今もなお愛し続けるトレーブレフには、そのたくましさが衝撃だった。
唐突に思えるラストシーンが、観る側に余韻を残す。
なにしろ、カーテンコールをしている役者たちのそばで、同時に最後のシーンが演じられているのだから。
何もかも中途半端なのに、ムリヤリに幕を下ろすような象徴的なシーン。
休憩を含めて2時間50分。
新訳のせいか、分りやすいセリフで、笑わせる場面も多々あった。
ただ、長セリフに、聞く側の集中力が及ばないところも。
つい、うつらうつら。
それに、チェーホフなどのセリフで聞かせる芝居を観るには、この劇場は大きすぎるのではないだろうか?
出来たら、コクーンあたりで、KERA(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)に演出してもらえたら、とワガママな感想が頭をよぎった。
※※※※※
[お土産等など]
赤坂へ行けば必ず立ち寄るお店【相模屋】で、あんみつをおみやげに。
※このお店を出た後に、赤坂の街を闊歩する小島聖さんや、栗山さんたちスタッフに出くわした。
彼らに気付いていながら振り返ったりしないのが、赤坂の街らしかった。
あんみつ 三人前を購入
とりあえず 一人前が出来上がり
そして、
夫の大阪みやげ モチクリーム
そして、そしてこれも
【ミミちゃん】制作の手提げ大・小
左端は、北海道産のかりんとう(胡麻・十穀)
陸にも?
≪今週の陸≫
何が起きる?
陸にしのびよる足
「そこを撫でて」 えっ?
『第17捕虜収容所』 [演劇]
初めて観た11年前よりも豪華な配役、そしてより大きな劇場での上演。
本も演出家も当時と同じだったから、11年の歳月を改めて実感することになった作品。
『第17捕虜収容所』 (台本:飯島早苗、演出:鈴木裕美)
第二次世界大戦下、ドイツ軍占領地域にある捕虜収容所。
この「第17」には、アメリカ軍兵士10人が収容されている。
そのなかの兵士2人が脱走を企て、今まさに決行しようとする、緊張の場面からスタートする。
同じ収容所の仲間たちに激励され、周到に準備されたこの脱走が、あっけなく見破られ失敗する。
まるで事前にこの計画がドイツ軍に洩れていたかのように。
またある時は、仲間が調達し巧妙に隠しておいた無線ラジオが、難なく押収される。
そして、新しくやってきた捕虜が仲間たちだけに話した、軍用列車爆破の手柄話さえもドイツ軍に知られ、連行されてしまう。
ここに至って、疑いは確信に変わる。
「俺達のなかにドイツ軍のスパイがいる!」
疑われるのは、セフトン (三宅健)。
彼はこれまで、ドイツ兵たちとの取引で酒やタバコなどの物品を手に入れていたし、第17の仲間たちとは一線を画していたから。
それで仲間にリンチされ、監視される羽目にもあう。
スパイが誰であるかは、観客には途中で明かされる。
そして、セフトンだけが偶然それを知る。
幸い、スパイに気付かれてはいない。
しかし、仲間たちにはどうやって、それを伝えたらいいのか?信じてもらえるだろうか?
セフトンは悩む。
なにしろ、自分が一番疑われているのだから、簡単なことではない。
リーダー (松村武)
安全部長 (袴田吉彦)
最年長オヤジ (おかやまはじめ)
正義感野郎 (粟野史浩)
使い走り小僧 (池上リョヲマ)
陽気な男 (瀧川英次)
精神を病むオカリナ弾き (小村裕次郎)
新入りの捕虜 (小林十市)
新入りの捕虜 (堀文明)
・・・この中にスパイがいる。
ハラハラドキドキの2時間15分、ノンストップ。
場面転換は、一瞬の暗転と雷鳴のような大音響で盛り上げ、飽きさせない。
スパイ当てのミステリーとしてだけではなく、第二次大戦下の捕虜収容所という特殊な状況に生きる人々の感情をもよく表わしている。
余談になるが、主人公が舞台上で実際に目玉焼きを作るシーンは、今回もカットされなかった。
場内に卵が焼ける良い匂いが漂って、11年前に一瞬タイムスリップしたような気さえした。
11年前のパンフレット
当時のチケット
当然のことながら、ジャニーズファンの若い女性で溢れる劇場内。
幕が下りると、アンコール数回の後に、観客席はほぼオールスタンディングで迎える優しさ。
これも11年前にはなかったことだった。
このグローブ座に初めて来た数年前は、シェイクスピア時代の伝統を意識した舞台設計が少し空回りして、客足が遠のいていた頃だった。
運営母体がジャニーズに移って維持されるなら協力したい、そう思わせる魅力的な劇場でもあった。
※※※※※
[お出かけ]
『ナンシー関 大ハンコ展』へ。
チヨロギさんのブログで教えて頂き、慌てて出かけた。
消しゴム版画家、そしてコラムニスト。
それが、ナンシー関の肩書きだが、巨体でも知られている。
私が彼女を知ったのは、週刊朝日に10年以上連載された「小耳にはさもう」から。
版画の才能は言うに及ばず、テレビ時評並びに人物批評に長けていた。
歯に衣着せぬその批評には、思わず納得してしまう。
例えば、大橋巨泉について、こう批評する。
≪1年じゅう「閉店セール」をしている家具屋に似てないか?≫
残念ながら、6年前の今日、6月12日に亡くなった、タクシーの中で突然倒れて。
たった、39年の生涯。
「ナンシー以前」「ナンシー以後」、そう語られるほど、彼女の不在は大きい。
亀田三兄弟のことをどう批評するか聞いてみたいと語ったのは、松尾貴史だったろうか?
他にも聞きたいことがたくさんあったのに、それはもう叶わない。
会場入口のポスター 自画像
≪今週の陸≫
何故か、カメラ目線。
そんなことめったにないのにね。
『わが魂は輝く水なり』 [演劇]
電車にも影響が出ているらしい。
・・・そんな日に芝居を観に出かけることになった。
【わが魂は輝く水なり ~源平北越流誌】 (作:清水邦夫、演出:蜷川幸雄)
時代は源平合戦(平安末期)の頃。
平家の武将、斎藤実盛(野村萬斎)は、老いてなお木曾義仲軍との戦に明け暮れている。
彼の息子・五郎(尾上菊之助)は、義仲軍に加わり不慮の死を遂げた。
そして今、もう一人の息子・六郎(坂東亀三郎)さえも、義仲軍に馳せ参じようとしている。
もとはといえば、その昔、幼い義仲の命を救い木曾へ託したのは、実盛だった。
義仲にとって、実盛はいわば命の恩人ともいえる。
その義仲が今や強大な勢力となって、平維盛(長谷川博己)を総大将とする、実盛らの軍を脅かす。
冒頭、髪を下ろし、鎧の上に白い衣装を身にまとった五郎が登場。
彼がもはやこの世の人間ではないことを、その出で立ちとともに物語る。
彼は死者として、父・実盛の傍らにつきまとう。
時に反発し、時に労わるように。
親子は、たとえば夢について、こんな言葉を交わす。
「生きている人間は淫らだ、淫らな夢を追いすぎます」 (五郎)
「死人は立派すぎる、高貴な夢を語りすぎる、とくにお前のような若い死人は」 (実盛)
清水邦夫氏らしい詩的で胸を打つセリフは、随所に散りばめられてあった。
「芸術劇場」(NHK教育)の枠で放映予定
やがて、五郎の死は不慮の事故ではなく、陰謀によるリンチの果ての死ではないかと思えてくる。
それは、結局は義仲軍から逃げ帰ってきた六郎によって、確信へと変っていく。
それなのに、この芝居に肝心の木曾義仲は登場しない。
義仲はもはや狂っていて、指揮を執るどころではなく、巴(秋山菜津子)がその代わりを務めている、という設定になっている。
これらから連想されるのは、あさま山荘事件や山岳ベース事件を起こした、ある政治セクトのこと。
ちなみに、清水氏がこの作品を劇団民芸に書き下ろしたのは1980年というから、今からおよそ30年前のことになる。
その当時なら、これらの事件はまだ生々しい記憶であったのだろう。
今、この作品を自らの手で初めて演出する理由を蜷川氏は、以下のように語っている。
「理屈は付けてるけど、半分は本能的な選択なんだよね。そうやって自分を掻き立てて、普通の老人の終わりにしたくないと意識しているんだと思う」(パンフレットより)
だからだろうか、実盛が一人(いや、五郎と二人)自軍から離れてむかえる最期の印象は強烈だ。
敵を欺くために、実盛は白髪を黒髪に染め、顔を白塗りにして若者を装う。
やがて、敵に囲まれて。。。
これは『平家物語』でも知られている話なのに、悲壮感はなく、ユーモアさえも漂い、胸に迫った。
上演は、休憩を含めて2時間40分。
セリフの美しさに魅せられた時間でもあった。
テレビの放映予定がなければ、もう一度観たいと思った。
きっとチケットはもう取れないけど。
この芝居を観た前日、サザンオールスターズが来年から活動を休止するというニュースが駆け巡った。 (5月19日付asahi.comより)
サザンは、今年でデビュー30周年。
この作品が最初に上演されておよそ30年。
時の流れは、早いようでも遅いようでもあった。
※以下は私の好きなサザン曲。
ところで、長靴にレインコートという重装備をして出かけたのに、渋谷に着いた時にはすっかり雨が上がっていた。
なんのことはない、これも天気予報の通りとは。
≪今週の陸≫
「ほぼ日刊イトイ新聞」のコーナーで、アンケートに答えることで、1年後の自分へメールを届けてもらう企画があった。(詳細はこちら)
そのメールが先日届いて、ビックリ。
たった1年前なのに、企画に応募したことさえ、全く覚えていなかったから。
そこでの、1年後の私へのメッセージ。↓
陸は元気にしてる?
どっちにしても、とにかくガンバレ。
いや、頑張らないでいいよ。
陸は元気にしています。
老いてますますに。
開 始
完 了
正しい利用法
『どん底』 [演劇]
年中芝居を観ているようでも、同じ芝居を何度も観ることは少ない。
それが今回はmissoちゃんのお誘いで、一週間の間隔で二度観ることになった。
作品は、ロシアの文豪ゴーリキー原作 『どん底』。
過去に何度も舞台化され、黒澤明が映画化したことでも知られる古典。
今回、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(略:KERA)が、潤色し演出した。
『どん底』といえば、どうしても暗くて重苦しいイメージがつきまとう。
KERAが目指したのは、そうしたイメージを打ち破る、軽やかで明るい『どん底』。
「岸田國士さんの遺志を継ぐつもりで、この舞台をつくりたい」
稽古初日にKERAがこう挨拶したのには、訳がある。
明るい『どん底』を目指していたのは、岸田國士氏(劇作家)に他ならない。
しかし、岸田氏は『どん底』の稽古中に倒れて、公演初日に亡くなるという悲運に見舞われた。
それから54年が経って、KERAの出番が来た。
原作は、帝政ロシアの時代(1902年)に書かれているが、今回の芝居では、喜劇王チャップリンやケネディ大統領の話題も飛び交う。
時代を分かりやすく現代に近づけているのかも知れない。
ほら穴のような地下室の木賃宿に住みつく人々。
娼婦(松永玲子)が恋愛小説を読みふけっている隣では、錠前屋の妻(池谷のぶえ)が死の床についている。
貧しさから紙をフライにして食べる帽子屋(マギー)がいれば、わずかなお金さえも巻き上げようとするイカサマ賭博師(大森博史)もいる。
登場人物の役名(職業)を見れば、この他には、泥棒、男爵、娼婦、饅頭売り、役者、靴屋など。
いずれも定収入のない、貧しい暮らし。
過去の栄光を懐かしむことはあっても、未来など考えるべくもない。
先の読めない閉塞感からイライラも募る。
だからといって、いつもいつも絶望感に打ちひしがれているわけではない。
誰でもがそうであるように、この暮らしにも慣れてしまう。
物語を彩るのは、泥棒・ペーペル(江口洋介)が、大家の妻の妹・ナターシャ(緒川たまき)を愛したこと。
大家の妻・ワシリーサ(荻野目慶子)と不倫関係にあったペーペルが、それを清算して、ナターシャとの結婚を望んだことから、思わぬ悲劇へと転がって行く。
木賃宿に突如現れて、煙のように消え去る老人として、巡礼・ルカー(段田安則)が登場するのも、どこか象徴的だ。
ルカーは、住人たちとは異質な雰囲気を漂わせ、暖かな印象を残す。
誰も相手にしない娼婦の夢物語を優しく受け止め、死に行く錠前屋の妻に穏やかな最後を与え、アルコール中毒の元役者にも丁寧に教え諭す。
“それを親切と思うか、嘘つきと思うか・・・”
ルカーが住人たちの気持ちを代弁するように、自らそう呟くシーンが深く心に残った。
これは、岸田氏がかつて説いた、以下のようなルカー像に繋がるものではないだろうか?
≪モスコオ芸術座あたりでは、(略) 全く日本のそれと異なり、あんな哲学者風な、聖人のやうな、達観したやうな、早く云へば理屈つぽい爺さんにせず、
もつと剽軽で図々しく、そのくせ、おせつかいで、臆病で、口と腹とは違ふにしても、根は涙もろい苦労人といふ型に作り上げている。≫ (岸田國士著『舞台の笑顔』より抜粋~『どん底』パンフレットから)
最終幕で、男爵(三上市朗)の過去を知る、衛生局の男・セルゲイ(大河内浩)が登場する場面は、KERAの創作となっている。
そもそも、原作にセルゲイはいない。
ルカーが住人たちに暖かな印象を残すのとは反対に、セルゲイは男爵を脅かす存在として彼らの反感を買う。
男爵をセルゲイから守り抜く木賃宿の住人たち。
賭博師が急に歌いだし、思わず全員が合唱する「カチューシャ」がBGMのように流れて、感動的に幕。。。ではない。
幕には、原作通りの『どん底』らしい場面が用意されている。
休憩を挟んで3時間15分、決して長くはなかった。
“自分自身が生理的に納得し、2008年の日本の観客がシンパシィを持ちえる『どん底』を考えると、これが僕にとってのベストな『どん底』です。 (略)
この舞台を岸田さんに観てほしかったなぁ。” (パンフレットより)
KERAの言葉に涙がこぼれた。
この芝居を2度観ることが出来た幸せに感謝したい。
なお、この作品が初KERAだったmissoちゃんの記事はこちら。
※※※※※
[Anniversary]
①4月12日 最初に『どん底』を観劇した日はタイガースの良き日でした。
②4月17日 いつも大変お世話になっている、N夫人の誕生祝の日でした。
誕生日は今日、4月21日です。 おめでとうございます!!
友人とお花を贈りました。
≪陸にも良きことが≫
陸に妹がいることがわかりました!!
陸にソックリだと、飼い主の方からメールを頂戴し、血統書を調べたら、陸と同じお父さんでした。
生まれたのも同じ場所、買ったお店も同じでした。
名前は、チコちゃん。
陸より2つ下の9歳です。
近々、お会いすることになっています。
チコちゃん (2年前のお写真)
≪最近の陸≫
チコちゃんに会うのだから、もう少し大人になってほしいです。
雨の日に (4月18日)
桜の花びらを鼻に (4月12日)
『歌わせたい男たち』再び [演劇]
初演では、【朝日舞台芸術賞グランプリ】と【読売演劇大賞最優秀作品賞】を共に受賞するという華々しい評価を得ている。
永井さんがこだわったのは、同じキャストでの再演。
会場は、200席足らずのベニサン・ピットから、400席強の紀伊國屋ホールに変わった。
紀伊國屋書店4F 紀伊國屋ホール
卒業式でのいわゆる「君が代」問題が、この作品のテーマ。
多くの観客にとって、あまり身近にあるとはいえないテーマだから、傍観者的な立場の音楽講師・仲ミチル(戸田恵子)を主人公に据えたという。
ミチルは私たち自身とも言えた。
売れないシャンソン歌手が、この高校に音楽講師として雇われ、今日の卒業式で初めて「君が代」を伴奏する。
ミス・タッチと渾名される彼女には、たった40秒の、「君が代」も間違えずに弾く自信がない。
おまけに、コンタクトレンズの片方を落とすアクシデントもあって、楽譜がよく見えない有様。
同郷のよしみで借りた、社会科教師・拝島(近藤芳正)のメガネが一番よく見えた。
拝島が昨年の卒業式で「君が代」斉唱に起立しなかったことを、彼女はまだ知らない。
今年も不起立を考えている拝島が、「君が代」を伴奏する彼女に果たしてメガネを貸すだろうか?
・・・このようにストーリーは展開する。
永井さんより直接サインを頂く
リアルな保健室のセットを突き抜けるように、屋上を配する舞台は初演と全く変わらない。(初演についてはこちら)
ラスト近く、この屋上で校長(大谷亮介)が演説するシーンは、今回もやはり圧巻だった。
かつては拝島と同じ立場をとった校長が、それは過ちだったと陳謝して、今度は管理者として強く起立を呼びかけるシーンだ。
再演までの2年半に、最高裁判所の判断が下されたケースもあって、そのセリフが演説に付け加えられもした。
初演では、三島由紀夫の自衛隊での最後の演説のように見えた景色が、再演では、「改革」を連発した郵政選挙の演説のように見えるのが、大きな違いといえようか。
2年半の間に、それだけ時代が動いているのだろう。
最近では、不起立で処分される教職員が減っているという。
それは起立者が増えているだけでなく、体調不良などを理由に卒業式を欠席するという手段が選ばれていることにもよるらしい。
そういう理由なら処分されないということだった。
穏便に済ませたい現実が見え隠れする。
拝島は、それでもなお不起立を選ぶのだろうか?
そして、ミチルは?
校長に抵抗して、拝島が歌う、『暗い日曜日』。
拝島のリクエストで、ミチルが歌う、『聞かせてよ愛の言葉を』。
どちらの歌声にも、胸を打つ切なさがあった。
再演でキャストを変えたくなかった永井さんの本心は、この二人の歌声にあるのではないだろうか?
そして、二人が交わすネイティヴな名古屋弁(共に愛知県出身)の愛嬌も、捨てがたいものがある。
・・・そう思わずにはいられなかった。
たいていは笑ってばかりいたのに、気付いたら涙を流していた芝居だった。
※※※※※
[紀伊國屋あたり]
いつもの新宿東口界隈。
紀伊國屋書店から伊勢丹まで。
<紀伊國屋画廊にて>
エコール・ド・シモン人形展から 四谷シモン作品 (写真撮影OK)
<伊勢丹にて>
エディアールの串パン
≪今週の陸≫
季節を愉しむ。
ふきのとうから、春眠まで。